がんばる ひと

がんばるひと

以前のブログ美しいひとで、店を始めて世の中に美しい女性がたくさんいらっしゃることに気づいた、と書きました。もうひとつ気づいたことが。がんばっている女性がたくさんいらっしゃるんだなぁ、ということです。

 

セミナーや交流会に出かける機会が増えました。参加者の半数近くは女性でしょうか。ご自分で、あるいは仲間と起業している方にたくさん出会います。年代は学校を出て間もない方から、子育て中の若いママ、シニア世代まで幅広く、業種も手作り感のあるものからIT関連までさまざま。毎回、今日はどんな方に出会えるだろうと楽しみです。

  

私が学校を卒業後、就職したのはずいぶん(!)昔のことです。男女雇用機会均等法もなく、同期入社の男性社員が全国の支店に配属されていくなか、女性社員は地元支店勤務がお約束。数年勤めたら寿退社していくのが女の花道(笑)。そんな時代でした。これはほんの一例かもしれませんが、私の友人たちも似たような境遇だったように思います。

 

当時から組織や慣習に囚われることなく、自分の力を発揮して働いていた女性はおられたのでしょう。私のまわりでは見かけなかったせいか、よほど秀でた才能と強靭な精神力を併せ持った女性なのだと思っていました。かつ境遇にも恵まれた選ばれしひと、要するに私とは全く違う世界のひと、そう思っていました。

 

まだまだ男性社会の時代、男性と肩を並べて働く女性は「男勝り」「女だてらに」なんて揶揄されることもあったような。そんな風潮が、そうした女性をさらに特別な存在に仕立てていたかもしれません。

 

時を経て、女性の働き方も随分変わったよう。情報として知ってはいても、私には実感することができませんでした。結婚後、長年にわたり「ほぼ専業主婦」で過ごしてきた私は、ますます彼女らとは違う世界、違う次元を生きているのだと思っていました。

 

店を始めて、こうした働く女性に出会い、ようやく実感することができました。皆さん、女性ならではの視点を生かし、女性だからこその働きをされています。男性と肩を並べる必要などないのです。その姿はしなやかで美しく、「男勝り」だの「女だてらに」だのと揶揄するひとは誰もいません。

 

確かに秀でた才能と強靭な精神力を併せ持っておられますが、必ずしも恵まれた境遇の方ばかりとは限りません。それぞれに置かれた状況の中で最善を尽くされているのです。

 

私はこんなことをしています。

私はこんなことが出来ます。

私はこんなこともしようと考えています。

 

皆さん、主語は「私」。自分の持っている力、持ち味、可能性を気後れすることなくいつも目いっぱい発信されます。瞳は輝き、自信に満ちたその姿は、とても素敵です。

 

日本人、ことに女性は謙譲の美が尊ばれがち。けれどビジネスの世界、特に自力で起業していこうというとき、それではなにも伝わりません。

 

私も店を開いたからには、どうのこうの言っている場合ではなく、自分なりに精一杯、発信を続けてきました。気づけば私のまわりには、別世界のひとだと思っていた女性たちがいっぱい! 話してみると、共感できることがいっぱい!

 

皆さん、私と違う世界などでは決してなくて、私と地続きの場所にに立っておられました。線なんてどこにも見当たりません。その間に線を引いていたのは、私の勝手な思い込みでした。

 

仕事への意識の高い方は、人生に向かう意識も、自分への美意識も高い。遠くからは華やかさばかりが目につきますが、近寄ってみると陰でたゆまぬ努力を続けておられることに気づきます。がんばっておられるなぁ。いつも感心し、励まされます。

 

これからも、がんばっている女性たちにいっぱい出会い、いっぱい刺激を受けていきたいと思っています。

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茅葺きの宿 長治庵

きのもと七選

前回のブログ天狗おじいさんは思いのほか多くの方に読んでいただいたようで、うれしく思っています。きっと皆さんの心の中にもそれぞれの天狗おじいさんがいらっしゃるのでしょう。あのあと私にも天狗おじいさんの娘だの背後霊だのと名乗る方が現れ、驚いているところです(笑)。

 

天狗おじいさんもさることながら、写真だけ載せた「長治庵」というお宿、こちらが気になられた方もあったかもしれません。今回はそのお宿のことを書いてみようと思います。

 

私が好きな滋賀県湖北というのは木之本あたり、とてものどかな地域です。集落ごとに観音様が祀られ、今も地元の住民の皆さん自らの手によって大切に守られています。観音様はもとよりこうした土地柄に心惹かれ、たびたび足を運ぶようになりました。

 

好きなあまり、生活に溶け込んだ気分を味わってみたいとまで思うように。民話に出てきそうな茅葺屋根の宿「長治庵」さんのことを知ったときは、飛び上るほどうれしかったです。

 

レンタサイクルで木之本の観音様巡りをしたあと、駅前から一日数本しかないバスで一路、お宿へ。バス停の数から距離を推測していたのですが、山中ではバス停とバス停の間隔がべらぼうに長くなることを知りませんでした。時間はすでに夕方、バスの乗客はほとんどなし。不安になるくらい山中を分け入ったところで、人里らしい気配が…。

 

写真で見た通りの茅葺屋根の建物の前に立った時には、本当にほっとしました。かつては富山の薬売りの方が行商の途中に泊まられていたとか。往時が偲ばれる趣のあるお宿です。

 

冬には雪深い地域、桜の季節はまだ肌寒く、部屋にはこたつが置かれていました。もぐりこむと、なんだか田舎に帰ってきたような気分に。田舎のない私なのに不思議です。(ブログふるさと

 

夕食は母屋で。地元で採れた山菜、地元猟師さんが仕留められた鹿のお刺身、猪の鍋、熊のすき焼き…。締めはご主人自ら作られたコシヒカリのごはんがお櫃に入れられて。なんという贅沢、まさに地産地消です。珍しい食材も気取りなく調理されていて、それはそれは美味しかった…。しかも申し訳ないくらいリーズナブルなお値段です。

 

もてなしてくださる女将さんが控え目で、また素敵でした。

 

宿泊客は私ともう一組、衝立の向こうから聞こえてくる話し声から、関東から来られた熟年ご夫婦のようでした。ネットで検索して偶然見つけられたらしいご主人が「素晴らしい」を連発。ご満悦な様子がひしひしと伝わってきます。クールな反応の奥様に変わって、私は心の中で何度も相槌を打って差し上げました(笑)。

 

入浴後、廊下に並べられた雑誌の中に「きのもと七選」という冊子を見つけました。このあたりの歴史や風土、風習をまとめたもので、湖北好きの私には垂涎の一冊。部屋に持ち帰り、眠くなるまで読みふけりました。

 

翌朝、女将さんに販売されていないか尋ねると、なにかの記念に作られたもので販売はされていないとのことでした。

 

帰宅した翌日、大きな封筒が届きました。開けてみると、驚いたことに「きのもと七選」が。長治庵の女将さんがすぐに在庫を探してくださったのでしょう。たくさん残っていましたから、と手紙が添えられていました。うれしいやら、有り難いやら。忘れられないエピソードです。

 

今も本棚のすぐ手の届くところに置いています。店を始めてからは忙しく、木之本までも出かけられずにいますが、開くといつでも懐かしい思いが蘇ります。

 

美味しい料理の記憶には、温かいひと、温かいもてなしが必ず伴っているように思います。青森の佐藤初女さん(ブログ佐藤初女さんのこと2)、沖縄宮古島の千代さん(ブログ宮古島 農家民宿津嘉山荘)然り。

 

思えば素敵なお手本となる方たちに出会ってきたものです。私は、ここ京都で、寺町で、どんなことができるでしょう。そんなことを思っています。

 

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天狗おじいさん

長治庵

また春がやって来てしまいました…。(吐息、笑)

 

去年のブログ私が苦手だったもの、春で書きましたが、どうにも春が苦手な私です。いい陽気のなか、お客様が晴れやかな表情で来店くださるのを拝見し、春もいいものだなぁと思うようになってきたのですが…。

 

もともと人でも物でもなににつけ「気」を察知しやすい性質、春が近づくと大気中から、土中から、あたりに満ち満ちてくるエネルギーに圧倒されてしまいます。普段から世の中とズレ感のある私は、ますます置いてきぼり感にさいなまれ、気分が落ち込みがちに。

 

寒暖の差の激しいこの季節は体調管理も難しく、今年は桜の開花宣言と共に風邪をひいてしまいました。眠いのは薬のせいと思っていたら、治ってもまだ眠い。ただただ眠い。春なのに冬眠したい気分。でも頑張らねば。馴染みのあるこの感覚…。

 

ああ、やっぱり春は苦手なんだ、と思い至る次第です。

 

結構気合を入れて書いているこのブログ、気力が続かず、いざ書こうと思ったら、私の不調が移ったのかパソコンがが不具合に(笑)。そんなこんなで間が空いてしまい申し訳ありません。

 

そんな春を過ごしながら、思い出される記憶が。三年前の出来事です。

 

随筆家、白洲正子さんの紹介で滋賀の湖北の観音様のことを知り、たびたび足を運んでいたのですが(ブログ観音様のお導き)、湖北のそのまた山奥に民話に出てきそうな宿を見つけ、その春、一人で出かけたのでした。

 

京都の桜が終わった頃で、冬には雪深いそのあたりは、ちょうど満開の時期でした。といっても京都の喧騒からは考えられないのどかさです。

 

宿で心づくしのもてなしを受け大満足の翌朝、これを逃すと数時間来ないバスに乗るために早めにバス停で待っていました。すると高齢の男性が近寄ってくるなり、大きな声で「あんた、誰や?」と。

 

このあたりは住民同士、皆が顔見知りなのでしょう。見かけない顔の私に驚かれたようです。訳を話すも耳が遠い様子、私も大きな声で旅行者であることを伝えました。

 

納得がいかれたおじいさん、私をしげしげ眺め「このごろのおなごは若々しいのぉ」と。そもそも何歳の設定で話されているのか不明で、私は「いえいえ」と笑ってごまかすばかり(笑)。するとおじいさん、「いいや、あんたは若々しい! それに生き生きしとる!」とますます大きな声で。

 

三年前の春といえば「しののめ寺町」開店の一年前です。当時「ほぼ専業主婦」だった私は、世のためにも人のためにも役に立っていない自分に不全感を募らせていました。ましてや季節は春、ますます落ち込む気持ちにいたたまれず、一泊ではありますが日常から逃避してきたような次第。褒められることなんて一つもありません。

 

今度は笑ってごまかす訳にいかず、「いえいえ」と大きく首を振り強く否定しました。するとおじいさん、語気を強め「わしは嘘はつかん、お世辞はよう言わん男や。ホンマ、あんたは生き生きしとる!」と。

 

胸にドンときました。余計な謙遜はむしろ失礼、当たっていてもいなくてもその言葉をありがたくいただこうと思いました。「ありがとうございます」と素直に礼を言うと、おじいさんは「うんうん」と頷き、「ホンマに生き生きしとる!」とそのあとも何度も繰り返されました。

 

山あいの静かなバス停、青空を見上げながら、自分が思うより案外生き生きと生きているのかも。模索しているだけであっても、それはそれで懸命に生きているということなのかも。そんなことを考えていました。

 

先にバスを降りたおじいさんの後姿を見送りながら、ふと、おじいさんは山の天狗だったんじゃないかと思いました。元気のない私を励まそうと人間に姿を変えて山から下りてきてくれたんじゃないか、と。なにやら身に合っていない背広、なにやらかみ合わない会話、高齢の割に軽やかな身のこなし…。駅前でバスを降りた時には、そうに違いないと確信していました。

 

春が来て、元気を失くすと、あの天狗おじいさんを思い出します。また会いたいなぁ。そうして大きな声で「あんたは生き生きしとる!」と言ってほしいなぁ。

 

気づけば、京都の街中でも、そんなふうに私を励ましてくださる方に出会えるようになりました。天狗おじいさんはいろいろな場所に、いろいろな姿で現れてくれるようです。

 

春の気配にも馴染んできたこのごろ、私の調子も戻りつつあります。今年度もよろしくお願いします。

 

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