休日

休日

店を始めて、ありがたさが身に染みてわかるようになったことがたくさんあります。ひと様の情け、ご縁、健康、お金…。そうしたなかの一つが時間です。

 

「しののめ寺町」の定休日は毎週水曜日と第二木曜日です。「この前来たら、お休みやった」と仰るお客様も多く、なかには遠方の方や旅行中の方も。本当に申し訳なく思うのですが、年中無休というわけにもいかず。定休日が定着することを祈るばかりです。

 

一般的には土、日、祝日が休みという職場が多いでしょうか。テレビで週末情報などを耳にするたびに、世の中と少し違った時間軸を生きているような不思議な感覚を味わうことがあります。

 

そんな私の休日、どんな風に過ごしているかといいますと…。文字通り休んでいるわけにはいかず、いつも以上に気合いを入れて早起きするのが常です。早朝からできる限りの家事を済ませ、まずは自宅近くのフィットネススタジオへ(ブログ)。ストレッチやピラティスで、一週間の体と心の凝りをほぐします。

 

スッキリしたところで、引き続き自宅で溜まった家事をする日もあれば、そんなことは投げ打って(笑)出かける日も。気の置けない友人との食事だったり、真面目な勉強会だったり、時に楽しい集いだったり。

 

どんなふうに過ごした一日も、あっという間に夕方になり、あっという間に夜が来て、待ちに待った休日もあっという間におしまい。あくせく動いて、結局、翌日に疲れを持ち越し、なんてことも。

 

そんななか、月に一度の連休は、おまけをもらったような特別な二日間。大切に過ごすよう心がけています。まずは自分のために花を買って(ブログ私が苦手だったもの 花)、お気に入りのCDをゆっくり聴いてみたり、友人に短い便りを書いてみたり。自宅で過ごす時間は、ただそれだけで贅沢だなぁと思います。

 

時の流れと言いますが、時間がユラユラとたゆとうて、行きつ戻りつしながらチュロチュロと流れていく音が耳元で本当に聞こえるようです。

 

耳を傾けていると、穏やかな気持ちになり、ふだん大きな振れ巾で揺れがちな心が落ち着いていくのを感じます。私が時間に身を委ねているような、時間が私に寄り添うてくれているような。時間はそこにあるだけで癒しとなりうるのだなぁと思います。川や滝の水音を聞くと、心が休まるのと通じるでしょうか。

 

時間は誰にも平等、とはよく言われることですが、本当にそうかなぁと思います。私には、糸車を回すように、時に早く、時にゆっくり、神様が手加減を加えていらっしゃる気がしてなりません。

 

いつだったかの台風の日、店を開けていても開店休業状態だろうと、私だけ休みをもらったことがありました。たまたま日曜日。何年かぶりに、朝から教育テレビの「日曜美術館」を見ながら、世の中と同じ休日を過ごすことに違和感を感じている自分が新鮮でした。

 

あとはなにをして過ごしたかは覚えていませんが、一日がこんなに長くて、こんなに静かなものかと驚いたことを覚えています。夜、窓を開けると神秘的な満月。奇しくもスーパームーンの日でした。神様が私の日頃の労をねぎらって、糸車をゆっくりゆっくり回してくださったに違いない。そう信じないではいられない一日でした。

 

店を始め、時間に追われる生活になったことで、逆に時間がとても愛おしく感じられるようになったんだと思います。

 

特別なことなどなくても、大切に過ごした連休は、終わってみるとたった二日前のことが、ずいぶん以前のことに思えるから不思議です。静かな満足感と、翌日への活力を心身に満たして、その夜は豊かな気持ちで眠りに就くことができます。

 

毎日、楽しいことばかりとはいきません。誰しもそうであるように、どうしたって引き受けなければいけない困難もあるものです。それでも限りある時間、限りある人生、無用に心を煩わせ、かけがえのない時間を無駄に過ごすことだけはしたくない。そう思うようになりました。

 

希望や喜び、楽しさ、おもしろさを見つけながら暮らしたい。

 

私にとって休日は、そんな思いを新たにする日でもあります。皆様には、ぜひ「しののめ寺町」の定休日を覚えていただきますよう、よろしくお願いします。

 

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日日(にちにち)の…

日日

開店当初からごひいきいただいているお客様のなかに、ご主人様はドイツの方、奥様は日本の方というご夫婦がいらっしゃいます。それぞれに美術工芸や食文感など多岐にわたりご活躍で、最近、活動の拠点を東京から京都に移されたとのこと、私もうれしく思っているところです。

 

それはそれは素敵なお二人、ご来店の折にお話しできることをいつも楽しみにしているのですが、先日、奥様からこんなお話を伺いました。

 

京都に住まう七十歳の女性の「わたしらが日日(にちにち)の生活に使うものは…」という言葉に、ご主人様がいたく感銘を受けられたとのこと。それをヒントにご自身のギャラリーを「日日(にちにち)」と名付けられたというのです。

 

「わたしらが日日(にちにち)の生活に使うものは…」とは、普段使いの食器だったり、生活道具だったり、食材だったりを指すのでしょうか。特別な日のような華やかさはないけれど、愛着ある身の回りのものたち。

 

どこかで聞いたことがあるような。そう言われれば知っているけれど、敢えては使わなくなった言葉です。

 

かつてはハレの日とケの日がはっきりと分かれていたように思います。ハレの日の代表と言えばお正月ですが、とても特別な日に感じていたのは、私が子供だったからばかりではないでしょう。

 

一方で、一年の大部分を占めるケの日、特別ではない普通の日です。「わたしらが日日(にちにち)の生活に使うものは…」という言葉には、そんななんでもない一日一日を丁寧に、愛おしむように暮らしてきた古き良き日本人の暮らしぶりが表現されているように思います。

 

このほんの短い言葉から立ちのぼる、えも言われぬ風情。日日(ひび)とは少し違う、日日(にちにち)という音(おん)の持つ趣。こんな美しい日本語があったんだと思いました。眠っていた記憶が呼び覚まされたような、懐かしい感覚です。

 

それにしてもドイツ人であるご主人様がいたく感銘を受けられたという、その感性には驚くばかり。日本の良さは外国の方に、京都の良さは他府県の方に教わる毎日です。

 

そんなお話を聞かせてくださった奥様、ただ今発売中の「婦人画報」8月号に掲載されていらっしゃいます。まさに「日日(にちにち)の…」を体現されているような素敵な暮らしぶり。舞台はここ京都、寺町です。

 

行きつけのお店として「しののめ寺町」をご紹介いただいています。素敵な日日のひとこまに、うちのじゃこ山椒を添えていただいている幸せ。本当にありがたいことです。

 

京都特集も満載です。お客様の記事と共に、是非ともご覧いただけたらと思います。

 

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