Jupiter 2

jupiter

私事で恐縮ですが、1月は私の生まれ月でした。誕生日がうれしい年齢などとうに過ぎていますが、それでも誕生日の朝はなにか特別な気がするものです。元日の朝とはまた違った、すがしい気分というのでしょうか。

 

店に出かける前、家事をしながらの慌ただしい時間ではありますが、ちょっと音楽でも聴いてみようかと、平原綾香さんのCDをかけてみました。

 

昨年のブログJupiterでも書いていますが、開店以来、地下鉄を降り店まで歩く道すがら、よく口ずさんできた歌です。押しつぶされそうな不安にさいなまれる時、幾度となく励まされてきました。

 

この歌、そのときどきで解釈が微妙に変わるのですが、この朝、これまでにないとても新鮮な感覚に打たれました。私が歌っているつもりだったこの歌、実は誰かが私のために歌ってくれていたんじゃないかと…。

 

それは天上にいるもう一人の自分に思えました。地上に遣わされた私をいつも見守り、愛し、寄り添ってくれている、大いなるもう一人の自分。そんなもう一人の私からの歌声に聞こえたんです。

 

またまた怪しいことを書いてしまいました(笑)。歌詞を紹介します。

 

Jupiter          作詞 吉元由美 

 

   Everyday I listen to my heart

   ひとりじゃない

   深い胸の奥で つながってる

   果てしない時を越えて 輝く星が

   出会えた奇跡 教えてくれる

   Everyday I listen to my heart

   ひとりじゃない

   この宇宙(そら)の御胸(みむね)に 抱かれて

 

   私のこの両手で 何ができるの

   痛みに触れさせて そっと目を閉じて

   夢を失うよりも 悲しいことは

   自分を信じてあげられないこと

   愛を学ぶために 孤独があるなら

   意味のないことなど 起こりはしない

 

   心の静寂(しじま)に 耳をすまして

 

   私を呼んだなら どこへでも行くわ

   あなたのその涙 私のものに

 

   今は自分を 抱きしめて

   命のぬくもり 感じて

 

   私たちは誰も ひとりじゃない

   ありのままでずっと 愛されてる

   望むように生きて 輝く未来を

   いつまでも歌うわ あなたのために

 

 

不安にさいなまれる時、誰かに手を差しのべてほしくなります。心細さに怯える時、誰かに自分を認めてほしくなります。でも、こんなこと、ひとに求めたら身勝手なわがままになりかねません。叶えるのは、とても難しいことです。

 

でも、天上にもう一人の自分がいるとしたら…。気づいていないだけで、実はいつでも叶えられているのかもしれません。ひとに求めずとも自分自身によって。ちょっと痛くはありますが(笑)。

 

いつまでも甘ったれていないで、自立した大人の女性になりなさい。そんな天からのメッセージでしょうか。気づけたことは幸いです。なによりの誕生日プレゼントでした。

 

 

   今は自分を 抱きしめて

   命のぬくもり 感じて

 

 

これまで生きてきた自分を、自分自身が祝えなくてどうする。誕生日の朝、また生きようとしている自分を、まず自分が称えられなくてどうする。何歳になっても、誕生日はおめでたい! そんなことを思い心震えた1月でした。

 

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オランダの女の子

オランダの女の子

ここ寺町界隈は外国の方にも人気のようです。古美術店巡り、御所への道すがらと、毎日たくさんの方がそぞろ歩かれています。

 

ブログジョー岡田さんのことでも紹介していますが、通訳ガイドのジョーさん率いるツアーでは、毎回多くの外国人観光客の方が「しののめ寺町」にお立ち寄りくださいます。小さな子供さんづれのファミリーも珍しくありません。そんなとき私はある家族の姿を探している自分に気づきます。

 

4、5年前、まだ「しののめ寺町」開店前のことです。お盆の休暇に夫婦で旅行に出かけた帰り、京都の地下鉄で外国人のグループと一緒になることがありました。席を譲り合ったのがきっかけで会話が始まりました。

 

グループと思ったのは、両親と子供5人のファミリーでした。オランダの方でイギリス在住とのこと。2週間近くかけて日本を旅しているのだと、正面に座る父親が話してくれました。その傍らに末っ子らしい7歳くらいの女の子が寄り添っていました。白い肌に青い目、金髪のおかっぱ頭にカラフルなキャップをかぶり、映画の子役に出てきそうな可愛い子。目が合うと、はにかんだ笑顔を見せてくれました。まもなく私たちの降りる駅になり、いい旅をと告げて別れました。

 

翌日8月16日は「五山の送り火」の日、私たちは自宅近くの賀茂川に架かる橋、北山橋から見るのが恒例です。8時点火の「大文字」を見た後、15分後に灯る「船」を見るため橋を渡っていると、驚いたことにきのうのファミリーとばったり出会いました。大変な雑踏の中、奇跡のような再会です。さっそく彼らを「船」の見えるベストポジッションに案内しました。

 

亡くなった家族が「お盆」と言われるこの季節にあの世から帰ってくること、この火に送られてまた戻っていくこと、私は精一杯の単語を並べて説明し、火に向かって手を合わせてみせました。どこまで通じたかわかりませんが、火を見上げる彼らの横顔は厳かでした。

 

そんな合間に末っ子の女の子がよく話しかけてきました。彼女の早口を聞き取れずにいると、父親がゆっくり話すよう注意してくれました。

「I like your hair」

思いがけない言葉にポカンとしていると、聞き取れなかったと思ったのか、もう一度ゆっくり言ってくれました。

あなたの髪が好き…、

金髪の彼女の目に、栗色に染めた私のショートヘアはどう映ったのでしょう。小さくても女の子、そんなことが気になるのかと、おしゃまな彼女がまた可愛く思えました。

 

火も消えかかるころ、私たちは橋の上で別れました。握手をしようと差し出した手を、両親は両手で握ってくれました。彼女にもさよならを言おうと腰をかがめると、彼女は両手を私の首に回して抱きついてきました。

 

遠い海の向こうイギリスに帰って、彼女は今日のことをどんな風に思い出すのだろう。素敵なレディに成長するに違いない彼女、果たして今日のことを憶えていてくれるだろうか。小さな体を抱きながら、私は時空を超えてそんなことを思い巡らせていました。

 

幼い子供のこと、日々の暮らしに紛れて今日のことなどきっと忘れてしまうだろう。記憶なんてそんなもの。でも私は憶えているよ。あなたを忘れないよ。そう心で囁きながら、彼女の背中をそっと撫ぜました。

 

あまりに年の離れた私たち、なにがそんなにと不思議ですが、今でも繰り返し思い出される珠玉のような記憶です。

 

橋の上の奇跡のような再会は、二度とはないでしょう。それでも、いつ会っても彼女に恥ずかしくないひとでいたいなぁ、そんなことが一つの目安になっている私です。

 

 

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ここから見える風景

ここから見える風景

新年も早10日が過ぎました。ブログでのご挨拶が遅くなり申し訳ありません。昨年3月に「しののめ」の創業者である夫の母が亡くなり喪中のため、新年のご挨拶を控えさせていただきました。

 

年末、多くのお客様にご来店いただき忙しい毎日でした。お陰様で店のことで精一杯、自宅の大掃除など全く手つかずの年越しでした。今年は目をつむって、お正月休みくらいのんびり過ごそうと思っていたのですが…。

 

主婦の哀しい性(さが)でしょうか。家の中を動いた先々、あっちでゴシゴシ、こっちでがさごそ、気になるところを見つけては掃除や整理を始める始末。お正月からなにやってんだか、と呆れながらも、長年見慣れた風景のなかでの手馴れた作業は、かえって落ち着くものだなぁと思ったり。店では緊張して過ごしている自分を再認識した次第です。

 

話は飛びますが、私が車の運転免許を取ったのは40歳の時でした。ドン臭いことを自認している私、下手な運転で人様を傷つけることがあっては大変と、生涯、免許は取らないと決めていました。

 

それが、ある時、ふと思ったんです。例えばですが、人身事故を起こす確率が5%として、その5%の危険を恐れるあまり、残り95%の可能性を棒に振っているのはもったいない、と。さっそく教習所通いを始め、遅まきながらのドライバーデビューを果たしました。

 

当時、我が家の車はパジェロという大きな4WD車でした。よく人から「小さい体で大きい車を運転してんにゃなぁ」と驚かれたものです。人力で動かす訳ちゃうし、と心でツッコミを入れながらも、カーブにしろ車庫入れにしろ、身に余る大きさに四苦八苦していたのは事実です(笑)。そしてそんな自分に一番驚いていたのは他ならぬ私自身だったかもしれません。

 

それまでの私の指定席は助手席でした。わずか数十センチ右に移動しただけですが、前を走る車のうしろ姿、センターラインの角度…、似ているようで全く違って見えました。運転席からしか見ることの出来ない風景、免許を取らなければ出会えなかった風景…。運転するたびにいつも不思議で、ちょっと緊張して、そしてワクワクしていました。

 

こんなことなら、もっと早く免許を取ればよかったとも思いましたが、それまではきっと私の中の機が熟していなかったのでしょう。何事も用意されたタイミングというものがあるように思います。

 

「しののめ寺町」開店と同時に「ほぼ専業主婦」から「にわか女将」になって1年10ヶ月、起きている時間の大半を店で過ごすようになりました。レジあたりに立ち、店の中をぼんやり眺めながら、この風景を見て過ごしている自分を今でも不思議に思います。ちょうど免許取りたての頃と似た感覚です。

 

起業には100%約束された成功など有り得ません。何割かの確率の失敗を恐れて踏み出せずにいたら、この風景に出会うことはありませんでした。見慣れた風景は落ち着くものですが、一歩踏み出すことでしか見えてこない風景もまたいいものだなぁと思います。今では愛しい愛しい風景です。

 

「しののめ寺町」という店、免許取りたての頃のパジェロ同様、にわか女将には身に余る大きさです。ドン臭い私はまだまだうまく運転できずにいます。それでも日々、緊張感やワクワク感を楽しみながら、これからもやっていきたいな。そんなことを思う年明けでした。

 

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