瓶の中

瓶の中

大切にしている本があります。女優、高峰秀子さんの随筆集「瓶(びん)の中」。ちょうど一年前、仕事帰りに繁華街をぶらぶらした折、たまたま立ち寄ったデパートの本売り場で見つけました。

 

作者名とタイトルに惹かれ、思わず手に取り。ぱらぱら拾い読みして、たちまち魅了され。けれど、私にはちょっと高価で、一旦は棚に戻し。でもやっぱり気になって、舞い戻り。実はその時、へこみにへこんでいた私。少しでも慰めになるならと、思い切って買った一冊です。(ブログ月は満ち 欠け また満ちていく

 

女優、高峰秀子さんのことを、若い方はご存知でしょうか? 数年前に亡くなられましたが、昭和を代表する映画女優さんです。私も映画を観たたことはないのですが、たまたま彼女について書かれた本を読み、そのひととなりに惹かれてしまいました。

 

女優業の傍ら文筆業もされていることを知り、さっそく著書を読んでみました。恵まれた美貌と才能。けれど華やかな表舞台の陰には、過酷な暮らしがあったようです。そんな狭間にあっても、決して自分を見失わない、聡明さと茶目っ気。女優である前に、まず人として素敵な方だなぁと思いました。

 

ずいぶん以前に、関東に住む友人が、とある喫茶店で、高峰秀子さんを見かけたそうです。入ってこられると、カウンターに腰かけ、しばし過ごして出て行かれたとか。その一連の所作が、それはそれは美しかったと話してくれました。内面は立ち居振る舞いに表れるものなのだと、至極、納得したことを覚えています。 いつからか、高峰秀子さんは私の憧れの女性となりました。

 

タイトルに惹かれたというのには、こんな訳があります。以前のブログで書きましたが(ブログストック)、私の心の中には一本の瓶がありまして。口が狭くて、背が高くて、半透明。ちょうどワインの瓶のような。中には、なにやら液体が入っています。適量だといいのですが、時に枯渇したり、時に溢れたり。心の状態そのままに増減し、私に伝えてくれます。

 

私にとって瓶は、なにやら意味深く、謎めいたもの。「瓶の中」なんてあると、覗いてみたくて仕方ありません。ましてやそれが、憧れの高峰秀子さんの「瓶の中」であれば、なおさらです。

 

この本では「暮らしの楽しみ」という章で、ふだん使われているお気に入りのものが、写真と文章で紹介されています。鏡や時計、文鎮や飾り棚、お香や紅入れ…。日用品というには、あまりに趣のあるものばかり。古い写真のせいでしょうか、色調が時代がかっているところがまた、えもいわれずいい感じです。

 

それぞれに、手に入れられた時のエピソードなどを記した文章が添えられています。外国で求められたもの、有名な方から贈られたもの。中には高価なものもあるでしょう。けれど、価格や由緒ではなく、ご自身の審美眼と感性に適ったものだけを選ばれていることが、ウィットに富んだ文章から伝わってきます。なににも迎合しない生き方が、そこにも貫かれているようです。

 

自分の気に入ったものに囲まれ、それらを愛おしみながら丁寧に暮らしてこられた日々の様子が、どのページにも溢れています。そんなご自身の半生を「中身が薄くて粗末で、小さな瓶に入ってしまうほどしかない」と語られ、それがタイトルの由来となったようです。まったくもってご謙遜。そうであるなら、それはあまりに素敵な「瓶の中」です。

 

いつからか、私の心の中に、もう一つ、瓶が現れました。今度は少し底が広くて、口が大きめ。透明です。中にはクリスタルガラスのようなカラフルな欠片が入っています。私の大切なものたち…、人だったり、物だったり、時間だったり、記憶だったり。そうした一つ一つが、赤や黄、青、緑、とりどりになって輝いています。

 

お気に入りのものを見つけると、また一つ、瓶の中にカラカラ。楽しいことがあると、また一つカラカラ。瓶の中は少しずつ増え、輝きを増していきます。

 

そういえば幼い頃、空になったクッキーの缶や箱に、ビーズや千代紙、どこで拾ってきたのか綺麗な石や貝殻を入れては、大事にしまっていたことがあります。ガラクタみたいのものでも、自分にとっては宝物。眺めては、ひとり遊びするのが好きな子供でした。今でもあまり成長していないような(笑)。

 

私には手に入れられないもの、ひとが持っているものばかりが、輝いて見えることがあります。そんな思いに駆られる夜など、この本を開いてみます。パラパラとページを繰っていると、こんな声が聞こえてくるような。

 

あなたの「瓶の中」をよく見てごらん。

 

一人に一つ、心の中に瓶があり、それぞれの彩りと輝きを放っているのかも。ほかの誰でもない、自分の瓶を大切に胸に抱いて暮らしていくこと。それが大事なんだなぁ。そんなことを思うこのごろです。